「改善士」という名の由来

私が「改善士」と呼ばれるようになったのは、『情熱大陸』に出演してからです。

自分の活動をどのように思われたいか、伝わってほしいかを考えました。考えたと言っても、改善士に決まるまでの時間は、ほとんどかかりませんでした。

なぜなら私は既に「技術士」という資格を持っており、そのことに誇りを持っていたからです。

▍「技術士」とは

技術士とは、「技術士法」という法律(1957年制定)で定められ、文部科学大臣により認定される、技術分野の国家資格です。

科学技術に関して高度な知識・経験・倫理を備えた優れた技術者に与えられる独占名称です。弁護士や公認会計士と同様の地位と権限が与えられています。

▍もともとはコンサルティング・エンジニア

「技術士」と名づけられたのは、1951年に日本技術士会が制定された時です。もともと海外にあった「コンサルティング・エンジニア」(CE)という職業に対する日本語訳として、技術士制度設立に尽力した平山復二郎氏らが作ったものです。

良いコトバだと思います。戦後の復興に貢献する技術に関する専門家たちは、現在の武士であり志士です。私事ではなく、志を高く持ち、社会のために献身しようとする人格者の意味を含んでいます。

▍そしてファンクショナル・アプローチ

私は、29歳で技術士(建設部門、1994年3月登録)に合格し、38歳で2つ目の技術士(総合技術監理部門、2003年7月登録)に合格しました。そして、国づくりのために、全国の各地で技術士として活動しました。

1997年に私は、アメリカの「バリュー・エンジニアリング」(VE)と出会い、その効果に衝撃を受け、VEで経済低迷の日本の復興に貢献しようと思いました。

その専門家として、志を高く持ち、社会のために献身しようと、調査・研究し、試行錯誤の上、「ファンクショナル・アプローチ」(FA)にたどり着きました。

▍やがて「改善士」へ

42歳の時に、アメリカSAVE国際協会が認定する「国際バリュー・スペシャリスト」(CVS)の認定(2006年12月)を受けました。2017年12月の時点での、国内保有者は148名です。

まずは、日本の公共事業への適用をはじめました。国家プロジェクトへの導入が決まり、地方自治体への導入が進みました。そして、もっと多くの人に伝えるための活動をはじめました。

2008年7月15日に、一般ビジネス書として初となる『ワンランク上の問題解決の技術《実践編》視点を変える「ファンクショナル・アプローチ」のすすめ』を出版しました。

2009年に約1年間の密着取材を受け、2010年3月7日に全国地上波で『情熱大陸』(MBS/TBS系列局)が放映されました。その時、武士→志士→技術士と受け継がれたように「士」の志を持つ意味で、「改善士」というコトバにしたのです。

▍30年後の子どもたちのため 輝く未来を遺すため

「士」である以上、私事ではなく、志を高く持ち、社会のために献身しようとする人格者であり続けたいと思っています。

だから、企業理念を「30年後の子どもたちのため 輝く未来を遺すため」とし、常にこの理念を忘れずに取り組んでいます。