FA誕生の切っ掛け「アスベスト事件」は真実か?

ファンクショナル・アプローチが生まれた切っ掛けとして、製造業界や建設業界で言われているのが、「アスベスト事件」です。

日本独自に根付いた、FA誕生秘話であり、アメリカはもとより海外ではほとんど知られていません。

どういったものか、お伝えしたいと思います。

▍私が最初に教わった誕生の切っ掛け

第二次世界大戦が終わった1940年代半ば、戦勝国であったアメリカでも資材不足の状態でした。

そんな中、ゼネラル・エレクトリック社(GE社)のある工場で、消防署からの監査を受けることになりました。

工場では、監査に合格しないと営業ができないため、防火計画通りに防火対策が実行されているか、一斉に再確認が行われました。

ところが、床に引かれていたアスベストが、新しく調達しなおさないと監査に合格しないくらいの不備であることが発覚しました。

調達担当は、急いで必要なアスベストを調達しようとしましたが、資材不足の折、まとまった量のアスベストは手に入りませんでした。

途方にくれていた時に、ある業者が質問しました。

  • 業者「アスベストは、何のために必要なのですか」
  • 担当「不燃材料として、使用したいのだ」
  • 業者「アスベストはありませんが、別の不燃材料ならありますよ」

このやり取りで、自分たちが求めているのはアスベストではなく、不燃材料であることに気がつくのです。

そして、調達は、モノで規定するのではなく役割で規定していくべきだ。そうすれば、調達がもっとやりやすくなるのではないかと考えました。

当時、調達部長だったのがローレンス・D・マイルズ氏で、それがキッカケでファンクショナル・アプローチが生まれ、この時の出来事を「アスベスト事件」と呼ばれるようになったのです。

▍フジタ工業で本人が語った誕生の切っ掛け

日本の製造業界や建設業界では、アスベスト事件がキッカケだと教育されいますが、発祥国のアメリカや世界中にいる専門家たちは、アスベスト事件のことを知りません。

そこで、過去に遡り、調査しました。

1973年1月の資料(日本VE協会会報誌、33号)には、日本でのローレンス・D・マイルズ氏のフジタ工業での講演録が残っていました。

「私がゼネラル・エレクトリックで働いていた時、競合相手の会社が冷蔵庫の制御装置のマス・プロダクションによって価格を安くしたため、GEは冷蔵庫の生産をやめなければならないと騒がれたとき、なにか方法はないかと考えたところ、VEテクニックを考えつき、それを応用してみたところ、GEは前にも増した規模を拡大して新しい工場を増設するほどになりました」

全く異なる出来事が誕生のキッカケになっているようです。

  • (日本VE協会会報誌、33号、1973年1月より抜粋)

▍松下電器産業で本人が語った誕生の切っ掛け

1973年7月の同資料(36号)には、松下電器産業での講演録にアスベストのことが載っていました。

「バリュー・アナリシスは、購買部で始まりました。私は、技術部門にいたとき、非常に驚いたことがあります。製品コストが非常に高くなるのです。私は、購買部にいき、なんとかならないのかと、何度か聞きに行きました。

購買部では、性能はアップしつつ、コストは下げるということに成功した例はたくさんあります。1つ例をお話しましょう。

私の仕事で、アスベストのパネルを買うという仕事がありました。非常にうすいもので、貴重品でした。コストも高く、入手するのが難しかったわけです。ですから、私は次のようなことを考えました。アスベストはいったいどういう機能を持っているのかです。私は、工場でそのことを教えられました。

アスベストは、ペンキに浸けられた部品が乗っているオーバーヘッドコンベアの下で、落ちるペンキを受ける仕事をしていたのです。

ペンキを受けるというファンクションのために、非常に多くの金を使っていたわけです。ですから、どうしてこんなに金をつかっているのかと聞いたら、防火法によってこの仕様が決められているのだと教えられました。

私は、製紙会社で燃えない紙を見つけました。防火委員会に行き、実際にその紙が燃えないのを見せ、アスベストの代わりとして認めてもらいました。非常に大きな節約ができました」

どうやら、この事例を「アスベスト事件」として誕生の切っ掛けになったのではないかと、思っています。

  • (日本VE協会会報誌、36号、1973年7月より抜粋)

▍インタビュー動画で本人が語った誕生の切っ掛け

また、マイルズ・パリュー財団のローレンス・D・マイルズ氏の晩年のインタビュー動画では、このように語っています。

「始まりは、私がGE社のサラリーマンだったころ。日ごろから、なぜ皆ものにどれくらいお金がかかっているかきにしないのだろう?と不思議に思っていた。ボスにそのことを言うと、彼はすぐに購買担当副社長に電話したところ、『そいつをよこせ』と。

数ヶ月後、私はこの副社長の下で働くようになりそこで、社内のあらゆるもののコストを知ることになった。第二次大戦中の真っただ中、国は資材が不足する中、兵器を次々に製造しなければならなかった。私の仕事はそんな状況下で、早急に必要な材料を調達することだった。

1940年代のことでどの工場も材料がない。週に50~2000機の飛行機用過給機を調達すると言った中で、私は考えた。持っている仕様書をもとに工場へ行っても仕方ない。この仕様は何の機能を果たしているかがわからなかったから。

もし作る製品が何をするためのものかがわかっていたら、それを実行するための方法を見つけることができ、様々なケースに役立てるのだと気がついた。」

冒頭の写真は、このインタビュー動画です。おそらく、これが本当の誕生の切っ掛けだと思います。

「アスベスト事件」という逸話は、誕生の切っ掛けというよりもエピソードの一つのようです。誕生の切っ掛けを正しく理解した上で、そのまま遺しておいてもいいと思います。

70年も前のことではありますが、これからのためにも歴史をキチッと遺していくことも、私のミッションです。

30年後の子どもたちのため、輝く未来を遺すため

 

[ssba]